食のこばなし

ホットドッグとサンドイッチ

NO.75

世界に誇るカツサンドは傑作サンドイッチ

筆者の大好物はカツサンドです。日本にサンドイッチが入ってきたのは明治時代の初期ですが、時代と共に日本人向けのサンドイッチが開発されました。神奈川県鎌倉市大船の「大船軒」が、大船駅で駅弁として販売したサンドイッチが日本最初とされているようです。

それがやがて昭和時代になり、東京の「井泉」がトンカツを挟んだパンを売り出したのがカツサンドの始まりでした。きっかけは下町の花柳界の芸者たちのために作ったものが、おいしいと評判になり「井泉」の売り物となりました。

三角に切ったサンドイッチもいま普及していますが、これは日本人が考案したもので特許まで取得したものでした。後楽園球場にサンドイッチを売りに行った店主が、お客さんから「中身が見えるサンドイッチがいいな」と言われたことから三角に切ることを考えて作りました。特許取得から5年後に権利を放棄したので広く使われるようになったのです。

いまやサンドイッチは、日本人の食生活にすっかり馴染み、コンビニの店頭でもさまざまな具材を挟んだサンドイッチが並んでいます。

 

トランプをやりながら発明したサンドイッチ

サンドイッチの名前は、18世紀のイギリスの貴族の名前から来ています。伯爵でもあるジョン・モンタギュ・サンドイッチ4世は、大のトランプ好きで、食事の時間になってもゲームを止めず、トーストパンにコールドビーフを挟んだパンを片手にして食べながら、ゲームを続けました。この食べ方が広がり、人々はサンドイッチと呼ぶようになったのです。

最初のころは、ギャンブル酒場など酒を飲む場所で広がったようです。それがやがて上流階級にも広がり、貴族の人たちは遅い夜食として食べるようになったということです。19世紀には、イギリスからスペインなどヨーロッパ各地に広がり、労働者階級の人々には、早くて安い簡単な食べ物として定着していったのです。

ところで発明者のサンドイッチ伯爵ですが、イギリスの海軍大臣をしていました。しかしアメリカ独立戦争に敗れた責任は、伯爵にあったとも言われ軍功は評価されませんでした。結局、軍人としての功績は残せずに、サンドイッチの発明者として歴史に名を残しました。

 

限りなく広がった挟む具材

サンドイッチが日本に伝わったころは、なんでも西欧からの移入品はもてはやされ、上流階級の上品な食べ物として広がりました。それが日本の庶民階層にも広がり、いまやサンドイッチなしの食生活は成り立たないまでに普及してしまったのです。定番はハム、卵、ツナ、サラダなどを挟んだものですが、いまやあらゆる具材をはさんだものに広がり、オリジナルサンドと称するものは限りなくあるようです。

東京の有名なフルーツパーラーで出すサンドイッチは、キウイ、リンゴ、パイナップル、イチゴ、バナナなどが挟んであり、お菓子のような風味を感じてなかなか美味しいのです。しかしフルーツがはみ出して何とも食べにくい。作り方に一工夫ありそうです。

サンドイッチを作るときに、パンの耳はいつ切り落とすのでしょうか。家で食べる時にもパーティーで出すときにも、テーブルに出す直前に切り落とすのがコツだそうで、ピクニックなどに持参するときには耳は切らずにそのままにし、食べ残すのがいいそうです。

ところで、宣伝ボードを前と後ろにぶら下げて練り歩くサンドイッチマンは、前後からボードに体を挟まれているのでこう呼ばれるようになったそうです。

 

ホットドッグはサンドイッチの兄弟分?

サンドイッチと並んで人気があるホットドックですが、この名称はいったい、どこから来たのでしょうか。日本語に直訳すると「熱い犬」になりますが、これって何でしょうか。

ドイツのバイエルン地方では、フランクフルトソーセージをダックスフントソーセージと呼ぶそうです。ずんぐりと短くしたものをダックスフントに見たて呼び方だそうで、これを熱く焼いてパンにはさんだものをホットドックと呼ぶようになったのです。1900年ごろにアメリカに伝わり、屋外の各種競技場で発売するとたちまち人気になり、全米に広がっていったと言われています。

米大リーグのボストン・レッドソックスの本拠地のフェンエイパーク球場に行ったとき、ホットドックを買い求めて席に戻ってきました。アメリカのホットドックは、ほとんどがアルミフォイルで包んである。席に戻ってさてゆっくりと開けてみると、ウインナソーセージを挟んだパンだけ。

実はホット屋さんの店頭には、オニオン、キャベツ、ピクルスなどのトッピング材料とケチャップ、マスタードなどが置いてあり、客が好きなように挟んでまた包みなおし、それから席に戻るのでした。友人のアメリカ人から「なんだ、日本人はそんなことも知らないのか」と笑われました。

 

ほめられないホットドック早食い競争

日本にホットドックが伝わってきたのは、昭和13年(1938)ころであり、東京・銀座の日劇地下の売店で売り出されたのが最初とも言われています。当時はアンパンくらいしかなかったのでたちまち評判になり、洋風パンとして広がっていったそうです。

アメリカ・ニューヨーク郊外のコニーアイランドで開催されているホットドックの早食い競争では、日本人が12分に50個以上のホットドックをたいらげて何度も優勝しています。しかしこのような早食い競争はテレビで見ていても楽しそうには見えない。早食い競争などというのは、食の文化に逆行するものであり、決してほめられたものではありません。

 

文・ばばれんせい 絵:とよだゆき

 

調理パンの生産額の都道府県ランキング(令和2年)

順位
都道府県
出荷額
割合
1 埼玉県 355.2億円 12.6
2 神奈川県 258.9億円 9.2
3 兵庫県 231.0億円 8.2
4 愛知県 200.3億円 7.1
5 千葉県 185.1億円 6.6
6 東京都 172.7億円 6.1
7 大阪府 127.4億円 4.5
8 福岡県 98.3億円 3.5
9 北海道 96.8億円 3.4
10 栃木県 91.8億円 3.3
11 茨城県 87.7億円 3.1
12 熊本県 86.3億円 3.1
13 静岡県 74.6億円 2.6
14 佐賀県 67.2億円 2.4
15 広島県 61.2億円 2.2
16 宮城県 52.2億円 1.8
17 京都府 47.6億円 1.7

出典:地域の入れ物

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