Blog食育交歓

2022.3.8 Tue

日本の偉大なソフトパワー学校給食と食育 その2

21世紀構想研究会はなぜこのテーマに取り組んだか ーその2

1997年7月10日、大阪府堺市でO-157(オー157,腸管出血性大腸菌)による学校給食の集団食中毒事件が発生しました。感染者がなんと1万人近く、死者3人をだすという前代未聞の学校給食食中毒事件でした。19年後には、後遺症による脳出血で25歳の女性が死亡しました。

文部省は直ちに、学校給食の衛生管理に乗り出すことになり、「学校給食衛生管理の調査研究協力者会議」を設置しました。

審議会は、食中毒の専門家、教育者、栄養管理専門家など、各界の20人ほどで構成し、メディア代表として馬場錬成(当時、読売新聞論説委員)が指名されて審議会に入りました。馬場は1997年9月に、来るべき21世紀に向かった日本再生のプログラムを考えるNPO法人21世紀構想研究会を創設しました。後に特定非営利活動法人となりさらに認定NPO法人へと昇格していきました。

研究会の下部組織に教育委員会を設置して学校給食の重要性を提起しましたが、誰もあまり乗ってきません。こういう時期が続いて行きました。

文部省は、この審議会で学校給食の衛生管理を徹底検証しました。それまでの衛生管理は駄目だということになり、それまではウエット方式だったものをドライ方式に大転換しました。さらに手洗いは腕で押すハンドル式にしトイレも衛生管理を改善しました。

ウエット方式というのは、水道の水をホースで調理場の床にバンバン撒いて流す。一見して非常に清潔に見えますが、調理をやっている最中も水をバンバンやって汚いものをどんどん流すわけです。ところが中毒細菌などがいた場合には、逆に水によって環境全体にばら撒いてしまう。それは駄目となり、床には一滴も水を漏らさないドライ方式に大転換したものでした。

審議会の委員だった馬場は、文部省から聞き取り調査に派遣されて給食現場をつぶさに視察しました。そこでショックを受けたのは学校長、地域教育委員会らの学校給食に対する意識の低さであり、保護者らの無関心でした。学校給食は毎日やってくれているだけという意識であり、衛生管理は別としても、栄養管理を学校栄養士が毎日きちっとやっていることが保護者にも伝わっていないのです。学校の先生もどうもはっきり認識していない。校長先生もよくわかっていないということがよくわかり、これは大きな問題だと馬場は認識しました。

 子どもの食生活にも問題あり

子どもの食生活にも問題があることも分かりました。食事時間が不規則で栄養の偏りが多い。一人で食事をする子どもが増えている。朝ごはんを食べない子が増えてきた。これではいけないとなり、食に関する教育を学校で教えようということから食育という概念を生み出してきたわけです。そして食育導入のための審議会も設置して、食育を教育の中に位置付ける概念を確立しました。

2005年の4月、食育基本法を制定して、食育とは様々な経験を通じて食に関する知識と食を選択する力を習得し、健全な食生活をすることが重要だ。生きるための基本的な知識、道徳教育、体育教育の基礎となるべきものと位置付けました。

ところで、食育って英語でなんていうのか? これは英語には簡単に一つの単語には直らないので、ローマ字で「SHOKUIKU」ということになってきました。英文の論文でも、「SHOKUIKU」という言葉を使うようになっております。世界にひろがってきており「SHOKUIKU」はこのまま外国語になるだろうと思っております。
 

食育という言葉をつくった人は、福井出身の石塚左玄先生です。1951年生まれであり1896年に出した長寿論で、「学童を持つ人は、躯育も智育も才育も全て食育にあると考えるべきである」と初めて食育という言葉を使いました。これが今日の食育という言葉の最初の発祥の言葉でございます。

中国の武漢工業大の趙晋平先生の教え子の大学院生、王婧さんが、歴史書を丹念に精査して調べたところ、食育という言葉は中国には古代からなかったということを言っておりました。

学校給食は多くの人と関係しています。児童・生徒だけじゃなくて、教職員、父母、生産者、流通業者、行政、その他食の関係者などです。接点が非常に多いのが学校給食の特長です。学校の子どもたちは、食材を生産者と一緒に栽培しています。地方の学校に行くと、こういう光景はよく見られます。東京のようにコンクリートジャングルにある学校でも、猫の額ほどのわずかな土があるところを耕して、わずかな食料を栽培して、学校給食で分け合って食べることも都会ではよく見られます。

文部科学省は、2005年の食育基本法の制定と同時に、栄養教諭制度を制定しました。それまで学校給食の献立は、学校栄養職員という栄養士の職員が作成していたのですが、栄養職員なので教員室には入れない。これでは教育の一端を担っていないとなり、校長直轄の指揮下に入れようということで、学校栄養職員を教員に昇格させることになりました。

雇用者の都道府県が主体となって、資格試験や面接、業務内容から順次栄養教諭に昇格させており、現在、全国の学校栄養士約1万2000人のうち、7100人ほどが栄養教諭に昇格しています。教諭は教員ですから校長にもなれますし担任にもなれます。栄養教諭から校長先生になった人が3人います。

 国民に重要性が理解されていない学校給食
食育施策、栄養教諭制度、学校給食の重要性。この3点セットが国民に理解されていないことが馬場は分かってきました。食育という世界にない重要な教育施策。これをPRして、国民に食育と学校給食の重要性を理解してもらう方法はないかと考えていました。

日本のソフトパワーとして素晴らしいことでありこれを社会に訴えていこう考えました。それではどうしたらいいか。21世紀構想研究会で、学校給食の重要性を語っても会員の方はあまり乗ってこない。それではその手段の一つとして、世間から耳目を集める学校給食コンテストをやったらどうだろうか。日本一おいしい学校給食のコンテストの開催です。

このアイデアを当時理事をやっていた故土屋達彦さん(株式会社カイトの創業者)に相談したら大賛成してくれました。カイトスタッフとともに、学校給食甲子園の骨格をつくり、翌2006年から全国学校給食甲子園はスタートを切りました。同時に学校給食甲子園を商標登録しました。これは権利化して言葉を独占するためではなく、社会に対して認知度を高めていく目的がありました。

つづく