タクワン
NO.92
貴重なおかずだった
仙台の伯母が東京の筆者の家に来るとき、必ずタクワン漬けをいっぱい持参してきました。戦後間もないころの話です。食事のときに食べなれたタクワン漬けがないと食欲がわかないというのです。子供のころそんな会話を聞きながら、大人のひとたちは、なんでそんなにタクワンにこだわるのだろうかと不思議に思っていました。
長じて考えてみると、その当時の伯母の気持ちが良く分かります。伯母の食べなれたタクワン漬けは、筆者の記憶でも確かにおいしかったのです。食べるものに不自由した貧乏時代にタクワン漬けは、食卓の貴重なおかずだったのです。
漬物の傑作
あのころ、多くの家庭では冬になるとダイコンを生干ししていました。ほぼ1ヶ月近く、はしご段のようにダイコンを吊り下げた光景は、日本の原風景でもあったのです。
干してしなしなになったダイコンを米ぬかと塩を混ぜ合わせた漬け床に漬けこむのです。赤い唐辛子を入れた漬け床もありました。タクワン漬けの黄色の色を出すために、何か黄色の色素風のものを入れていたように記憶しますが、年配の人に聞いても、もはや定かではありません。
漬けあがったタクワンは、なぜあんなにぱりぱりした歯ざわりを保ち、ほどよい塩分とダイコンの風味を保った漬けものになったのでしょうか。これは世界の漬けものの中でも傑作のひとつではないかと筆者は思っています。
タクワン和尚が考案
タクワン漬けは、江戸時代の高僧である沢庵宗彭(たくあんそうほう)和尚が考案した漬けものというのが通説です。筆者も子供のころからそう聞いていました。いま調べてみるとタクワンの歴史はあの和尚から始まったという説と和尚の前からあったとする説もあるようです。
タクワン和尚が創建した東海寺に、徳川三代将軍家光が来訪しました。そのときこの漬けものを出したところ、将軍はことのほか気に入り、漬けものの名前を聞いたそうです。タクワン和尚が名前はないと答えたところ、それならばタクワン漬けと呼ぶがいいと言ったことからタクワン漬けが広がったというエピソードもあります。
タクワン和尚が、この漬ものを好んでいたことは、いろいろの文献にも出ています。和尚は質素な生活だったのでタクワンを好んで食べていたということです。黄色に色付けするためにウコンを使ったという話もあります。(岡田哲編「たべもの起源辞典」東京堂出版)
このほかには、貯えて漬けたものとして「たくわえ漬け」と呼んでいたものが転じた説もあるようです。
秋田名物いぶりがっこ
秋田県に取材で行ったとき、地元の人から「いぶりがっこ」をお土産にいただきました。伝統的な製法で作ったいぶりがっこなので、一味違うという触れ込みでした。帰宅して早速食べてみると、これが大変おいしい。
大根を囲炉裏火の熱と煙で干してから、米ぬかで漬け込んだ漬物です。家庭で簡易燻製のダイコンを漬け込んで作ることもあるそうです。
あるとき中国人留学生の女性にいぶりがっこを出してみました。ちょっと匂いをかいで不審そうな顔をし、明らかにいやいやながら食べ始めました。すると噛むほどに表情が変わっていくのが分かりました。顔つきからおいしい表情に変わり、これはどういう漬物かときいてくるほどでした。
世界のダイコン漬け
中国にもダイコン漬けがあるそうです。一般的には日干ししたダイコンを塩だけで漬け込み、唐辛子を入れて辛味を強くするものが多いようです。確かにそのようなダイコン漬けを食べたことがあります。しかし糠付けはないということです。
台湾には、タクワン風のものはありますが、単なる塩漬けのダイコンだそうです。この漬ものを刻んで豚のばら肉と煮込んだり、春巻きの材料にすることもあるそうです。
韓国にもタクワン漬けがあり、こちらは日本の糖漬けと同じだということです。味はちょっと違うという人もいます。いずれにしても食は文化ですから、その国その土地に根付いたものが住んでいる人々の舌になじんでいき、いつしか伝統食として根をおろしていったのでしょう。
いまスーパーなどで販売されているタクワンは、様々に加工されたものがあり、買うときに迷うほどです。工場で大量生産するために調味料を配合するなど昔ながらのタクワンの味とは違う現代風のタクワンになっています。タクワンもまた時代と共に進化し、新たな伝統を作っているのです。
文:ばばれんせい 絵:みねしまともこ
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