Blog食育交歓

2020.11.25 Wed

第3回食育シンポジウム報告1

 コロナ禍にあってシンポジウム開催が困難になったため、初のインターネット・シンポジウムを開催しました。東京の事務局をセンター局とし、大分・香川・島根・富山・長野・岩手をサテライト局としてリアルタイムで結ぶ列島縦断シンポジウムが実現しました。

 詳報をこれから4回にわたって報告します。

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第3回食育シンポジウム

~コロナ禍の学校給食から見えた課題を考える~ 報告1

 

日 時  2020年11月14日(土) 午後2時-同5時

ZOOM(オンライン)開催

主 催  認定NPO法人21世紀構想研究会

協 賛  株式会社野口医学研究所

YouTube動画はこちらからご覧ください

【基調講演】(敬称略)

浅野嘉久(保健学博士、米国財団法人野口医学研究所 創立者・名誉理事)

【パネリスト】(敬称略・順不同)

浅野嘉久(保健学博士、米国財団法人野口医学研究所 創立者・名誉理事)

齊藤るみ(文部科学省初等中等教育局健康教育・食育課・学校給食調査官)

秦和義(香川県高松市立国分寺北部小学校)

渕範子(大分県豊後大野市西部学校給食共同調理場)

亀ヶ谷昭子(富山県高岡市立野村小学校)

菊池麻友(岩手県立気仙光陵支援学校)

宮川伊津子(信越放送情報センター制作部次長)

【モデレーター】

馬場錬成 21世紀構想研究会理事長・全国学校給食甲子園事務局

 

【司会・進行】 峯島朋子 21世紀構想研究会事務局長

本日のシンポジウムは、ZOOMの視聴の皆さまと同時に、YouTubeでライブ公開をしております。ZOOM画面の下のほうにはチャット機能とQ&Aのコーナーがございます。皆さまのご質問等はQ&Aから、それからご意見やご感想などはチャット機能から、事務局のほうで受付をしております。本日は全国からご参加いただいております皆さんのお声を、双方向として最後の質問コーナーのほうでも活用をさせていただきたいと思っておりますので、どうぞお寄せくださいませ。

それでは開会の挨拶を香川明夫さんにお願いいたします。香川さんは、女子栄養大学学長で、私ども全国学校給食甲子園の実行副委員長であります。

 

 

【開会挨拶】 香川明夫(女子栄養大学学長・全国学校給食甲子園実行副委員長)

ただいまご紹介いただきました、女子栄養大学の香川でございます。今日はコロナ禍ということもありまして、ZOOMでのシンポジウムの企画を立てさせていただいたところ、多くの方にご出席、ご参加をいただきまして、本当にありがとうございます。学校給食甲子園を運営する側としましても大変うれしく思っております。

さて、いろいろな学校の給食を拝見する機会があるのですが、コロナ禍の中、児童・生徒が個別に食べていたり、ビニールが前にあったり、今までとはちょっと違う、そういった中で学校給食をされていることがあります。学校給食は子どもたちがとても楽しみにしている時間であると思いますが、コロナ禍の中で、どのように給食をするのか。先生方、皆さんがお悩みだと認識しております。ぜひ今日皆さんのご意見を伺わせていただきながら、また何か宝となるようなものもたくさん出てくると思いますので、ぜひ持ち帰っていただいて、明日からの給食の時間、給食の運営に生かしていただければと思います。

 

 

モデレーターからパネリスト紹介

馬場      本日は7人の方からご発言をいただきます。まず基調講演をされます、東京の浅野嘉久さん、続きまして、パネリストの齊藤るみさん(東京)、渕範子さん(大分県)、秦和義さん(香川県)、亀ヶ谷昭子さん(富山県)、菊池麻友さん(岩手県)、宮川伊津子さん(長野県)、最後にご挨拶をいただきます、長島美保子さん(島根県)。このような豪華メンバーで行います。それでは、浅野さん、基調講演、よろしくお願いいたします。

 

基調講演

浅野      テーマは「コロナ禍での学校給食の重要な役割」ということです。株式会社野口医学研究所のほかに、財団法人野口医学研究所というものがありまして、医学活動の支援教育をおこなっています。1983年に設立された財団であり、活動を少し紹介させてもらいます。

 

野口医学研究所について

この財団は、まず医師、看護師、薬剤師、管理栄養士、そういったドクターとコメディカルスタッフの教育に一番必要なのはアメリカの先進医学を学ぶことです。フェーズ1は、アメリカの先進臨床医学の導入ということを目的としました。

その次の段階として、ジェネラリスト・ドクターの育成になりました。例えば眼科医や脳神経外科医が、飛行機や新幹線などの乗り物の中で倒れた人がいる時に、「どなたかお医者さんはいませんか?」という声をかけられても、いや、自分は眼科医だから、いや、自分は耳鼻咽喉科医だから、救急治療はできないということで、名乗りを上げないドクターが非常に多いという話があります。

ドクターというのは、最初に基本的な、いわゆるベーシックメディスンを学んでいるわけだから、たとえその後専門医になって、耳鼻咽喉科医になっても、少なくとも心臓とか複雑骨折だとか、それに対しての簡単な治療はできるわけで、「ドクターはいませんか?」というときにパッと手を上げられる、いわゆるジェネラリスト・ドクターを育成しようということになりました。

その次は医の技術、知識、および、患者さんに対する医療人としての対応をどのようにスマートにおこなうか。上から目線で治してやろうという気持ちのドクターではなくて、患者さんに治させてくださいというふうに言えるような、いわゆるサイエンスアンドアートの心の重要性を教えようということになりました。

 

現在は医師たるもの、専門知識、それから専門技術はあって当たり前。それを今更学校を出て、医師の免許を持った人、学校を出て看護師の免許を持った人にセミナーとかシンポジウムで教えても意味がないだろう。やはり心に行き着かせようということで、Humanity & Empathy in Medicineというのを、我々は重要視して、医師およびコメディカルスタッフに、患者に対応するその心を教えています。

今盛んにいわれているのは、患者さんに治してあげようというのではなくて、あなたの痛みを分けてください、治させてください、こう言える医師、看護師、およびコメディカルスタッフを育成するというのが我々の教育の主眼目です。

 

学校給食の思い出

1947年から学校給食が始まったありますが、私の自覚として学校給食が始まったのは、私が小学校の4年生のとき、1951年からでした。私の体験では小学校の4年生、1951年に初めて学校給食といえるものが始まりました。それは午前10時と午後12時に脱脂粉乳をお湯で溶いただけ。これをアルミの器に入れまして、それを無理やり飲まされました。そして年に1回酸敗臭のある肝油を無理やり口の中に押し込まれました。これが私の哀れな学校給食の原体験でございます。

後で聞いたところによれば、我々が飲んでいた脱脂粉乳は、もうなんともいえない独特な味とにおいで飲めなかったんです。あまりにもみんなが苦しんでいるものだから、学校の先生がバターを持ってきていいよと。バターを入れてごらんなさいと。そうすると乳脂肪が入って、いわゆる牛乳と同じような味になるからということで、バターを持ってこいと言われたんですけど、その当時、本物のバターを食べている人なんか、よほどのブルジョアでなければいませんでした。

私たちの頃はマーガリンをバターだと思っていて、そのマーガリンをちょっと入れるとやっと飲める牛乳になったのを覚えています。それから給食のおかずはとにかくひじき、ひじき、ひじき、たまに油揚げ、切り干し大根、それから人参。これらを混ぜて煮付けたもの。これをほとんど食べていました。

たまにちくわが出るんですけども、今の紀文のちくわとか、いわゆるすり身でつくったちくわとは大きく異なっていまして、メリケン粉で増量をして、非常に歯ごたえのないちくわが一般的でした。

これを磯辺揚げのようにして、給食に出ていました。肉といえば、牛肉はほとんどお目にかかったことがなく、ほとんど鯨で代用されていて、これを今でいう竜田揚げにして、時々食べさせられていました。

それからお米が出るなんていうことはまずまったくなくて、私が初めて混ざりもののない、麦もサツマイモもそらまめも何も入っていないごはんを、つまり白いごはんを自宅で食べたのは、忘れもしない私が8歳のときでした。小学校の2年生のときに初めて白いごはんを食べたのですが、給食のときはコッペパンでした。

それから、当時うちも貧しかったんですけども、学校にはもっともっと貧しい家庭の子がいまして、その子は給食だけが口から何かものが入っていくという、そういうような同級生がいて、その仲間に、我々のコッペパンを半分あげたり、ひじきを半分あげたりということをしていましたね。助け合っていました。

 

学校給食記念日のごちそう

それで、忘れもしない、1年に1回、学校給食の記念日があって、給食記念日に、これはもう豪華な給食が出たのを覚えています。その我々が最も楽しみにしていたのは、アジフライが出るんです。このアジフライが一匹丸々出ていました。このときの喜びは今でも忘れていません。今はアジフライ嫌いです。

それで、そのときには、他の副菜もかなりいいものがついていて、ちくわの磯辺揚げとか、つけてくださいましたね。それで、さらにデザートがつきました。これはあんこの入ったおもちのようなものを食べた覚えがあります。その学校給食の年に1回の学校給食の記念日が、私にとっては今となっては非常に懐かしい思い出として残っています。

アメリカの豊かな食生活

今は卵が非常に乱雑に扱われていますけども、卵というのは当時の昭和20年代、それから30年代も半ば頃までは貴重品で、一家に1個の卵が食べられる家庭はほとんどなかったと思います。バナナは、私が大学生になるまで輸入の規制品で、数本または10本くらいのバナナでサラリーマンの1カ月分の給料が飛ぶくらい高かったんです。ですから、バナナを食べることはほとんど夢のまた夢で、ハリウッドの映画で無造作にみんながバナナを食べている姿を見て、それ以来バナナは私は嫌いになりました。それから、とにかくお肉が食べたかった。

映画なんかで、大きな丸焼きの牛とか、そういうシーンが出てきましたけども、どうしてアメリカ人はこんな昔からお肉がふんだんに食べられるんだろうと思っていました。鳥の足1本焼いたものを歯で肉をキュッとしごくように食べている姿で、いやあ、いいなあ、アメリカは・・・アメリカ人になぜ生まれなかったんだろうと恨んだこともありました(笑)。

 

現代の子供の生活習慣病

ところが、今は飽食の時代になったので、肉は食べられる、フライドチキンはおやつ。メロンまでみんなデザートとして食べられる。それでブクブク太ってきた。これが私は非常に良くないと思います。飽食の時代で、子どもがなんでも食べられる。好きなものを食べさせて、親も全然それを止めようとしない。

ですから、結局肥満児がどんどん増えてきて、昔は成人病の範疇に入っていた糖尿病が、今は子どもの病気にもなって、生活習慣病という名前にも変えられたくらいです。これを僕は非常に憂いています。学校給食でいただくものが、本当に理想的な栄養配分ですので、こういったものを大人になってからも、きちっと食べていけるという、その規則を頭の中に叩き込むもの、叩き込まれるもの、これが学校給食であっていただきたいと切に思っています。

 

食育の必要性

昔の成人病は、今は生活習慣病となっていて、昔は大人も30、40歳を超えて、50歳を超えなければかからなかった病気が、今は小学生まで同じような病気で困っている。それを考えると、食育、それから学校給食、これがきちっと法律として小さい頃から教育の一環として、みんなに習慣として、それから知識として植え付けられるというのは、非常にいいことだと思っています。

学校給食甲子園の話を聞き、その実施に野口医学研究所と財団、それから財団を財政的に支えている株式会社も、これに対して貢献できることを非常に誇りに思っています。
栄養学のほうから考えると、従来の日本食や、アメリカから影響を受けている近代の食生活の中で、日本人はほとんど足りない栄養素はないのです。ところが、カルシウムだけがどうしてか不足しているデータがいっぱいある。骨粗鬆症とかそういうものが日本人はアメリカ人なんかに比べても非常に多い。だから、このカルシウムをどうやって摂取するかという課題を、学校給食からずっと考えていく必要がある。成人になり閉経期とか老年期に差し掛かって、骨が弱くなって折れたりしないように、きちっとした栄養を、バランスの取れた栄養の摂取をできるようにしないといけない。そういう教育として、この学校給食と食育の法律があるというのは、まさに世界に誇れるものだと思っています。

 

コロナ禍でわかった学校給食のありがたさ

今年の前半に学校給食がコロナ騒ぎでなくなって、今まではお母さまたちが学校給食にほぼ安心して子どもの食生活の実践を委ねて来ていたのが、学校へ行けなくなって、しかも学校給食がなくなってしまった。それで自分で子どもたちのお昼ごはんをつくらなきゃいけない。そうなって、学校給食のありがたさが身に染みて、私どもと一緒に働いている管理栄養士さんも、つくづく学校給食に感謝をしています。早くコロナ騒ぎが去って、学校給食の恩恵をまた受けられるような社会に戻ることを切望しております。

馬場      ありがとうございました。体験談から見た学校給食の重要性、それから先生の研究所の小学生を持つ母親のスタッフの体験から、コロナ禍の影響を提示していただきました。それでは、これから6人のパネリストに順次プレゼンテーションを、お願いしたいと思います。最初に齊藤るみさん、よろしくお願いいたします。

 

齊藤 文部科学省として、このコロナ禍の中で対応してきたことや、発信してきたことなどについてお話をさせていただきたいと思います。まず、こちらのスライドですが、文部科学省では、学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアルというのを作成しています。

 

このマニュアルは学校の衛生管理に関する、より具体的な事項について、学校の参考となるよう作成したものです。これは順次更新されていて、今映しているのは、9月3日時点のときの最新の知見に基づいて作成したものですが、今後また新たな情報や知見が得られた場合には随時見直していくものになっております。

この中で、特に学校給食というところを抜粋してお話ししたいと思います。こちらは新しい生活様式を踏まえた、学校の行動基準というのを示しているものになっております。

 

 

 

 

学校給食については、児童生徒が健やかな育ちを支える重要な機能である一方、感染リスクが高い活動でもあります。先ほど見ていただいたレベルがありますが、レベル3の地域にあっても、学校給食施設や栄養教諭、調理員等の人的資源を最大限活用することなどにより、いかに児童生徒の適切な栄養摂取や食生活を支援できるかということについて、感染リスクにも配慮しつつ、積極的に検討することが望まれることを示しています。

学校給食の衛生管理については、学校給食衛生管理基準に基づいておこなわれておりましたが、改めて基準に基づいた調理作業や配食等を徹底していただきたいと期待しています。今回コロナ対応に向けて改めて見直したときに、やはり基準に基づいて徹底するということが調理現場では大事になってくると思います。そして、配食をおこなう給食当番の児童生徒や教職員の健康状態、白衣等の服装、手洗いの点検についても、引き続き基準に基づいてお願いしたいということを期待しています。

給食に際しては、まずはこれまでの基準に基づいてやってきたことをやっていくと、コロナに対する対応はできるということになっています。ただ、飛沫感染が心配されますので、会食にあたっては、飛沫を飛ばさないよう、例えば机を向かい合わせにしない、大声での会話を控えるなどの対応が必要です。今学校現場ではそれを踏まえて、グループをつくってというよりは、前を向いたり、パネルを利用したりという取組みがなされているのかと思います。
5月13日に事務連絡を発出しておりますが、臨時休業等に伴い、学校に登校できない児童生徒の食に関する指導等についてという文書を発出しております。これは、地域の感染状況によっては、臨時休業が一定期間続く可能性もありますので、学校再開後においても、一部の児童生徒がやむを得ず学校に登校できない場合もあることを踏まえて取りまとめているものです。

登校できない間の食に関する指導や食事支援の工夫についてまとめたものになっています。特に食に関する指導については、生涯にわたって健やかな心身と豊かな人間性を育んでいくための指導が重要であるということから、栄養教諭を核として、適宜ICTを活用するなどの工夫により、児童生徒に対する指導をおこなうことが求められています。

 

 

指導方法と内容を五つの事例で示しています。適切な栄養摂取に関する知識や児童生徒だけでも整えられる食事のつくり方などに関する情報を提供。養護教諭等と連携して、健康記録や食事記録を促し、併せての必要な指導。食事の準備や調理、後片付けをおこなう際の安全や衛生についての必要な情報提供。家庭への働きかけや啓発活動。個別的な相談指導が必要な児童生徒に対しての指導などを挙げております。

こういったことを休業中であっても、積極的に栄養教諭を中心としながら取り組んでいただきたいということをここで示させていただきました。
食事支援という部分ですが、学校給食は学校教育活動の一環としておこなわれておりますけれども、他方で児童生徒の健康の保持増進を直接支えるという大きな意味も持ち続けています。児童生徒に対する食事の支援をおこなう中で、ぜひ関係部局との連携も踏まえた取組みなどもお願いしたいと思っております。いずれの場合においても、衛生管理には十分留意するとともに、栄養をはじめ、食に関する指導と合わせておこなうことで、その実施効果を高めることが重要ですということを示させていただきました。

こちらで収集した事例を紹介しておりますが、例えば休業中であっても、栄養教諭によるおすすめの昼食レシピを学校のホームページで紹介している事例です。

 

 

これは学校再開後の栄養教諭の取組みについてまとめた事例になっておりますが、、栄養教諭は日頃給食室の衛生管理について管理をおこなっておりますので、その知識を生かして、学校の衛生管理に関する研修を実施するなどの貢献もおこなっているという事例になっております。

 

また会食時、どうしても今会話を控えるということをしている分、楽しい給食の時間になるように、食育のパワーポイントを作成して、全学級に映写をしている取組みもあります。配膳室が密にならないように、給食当番の数を減らし、2クラスずつ時間差で配膳して取りに行く取組みなど、栄養教諭が中心となって新たな昼食提供の仕組みづくりがおこなわれていることを聞いています。

通常の給食ができない分、一方で食事支援が求められている。さらに食に関する指導も必要とされている中、栄養教諭にできること、栄養教諭だからできることというのを、ぜひ皆さんも一緒に考えていただいて、これからもご活躍されるということを期待しています。

 

馬場 ありがとうございました。それでは、続いて秦和義さん、お願いいたします。

 

 香川県の我々の研究会では、コロナ禍の休業時における栄養教諭等の業務を調べました。献立がストップしたために、来たるべき再開に向けて、献立の変更を考えたり、物資の管理、献立の変更による食物アレルギー関係の資料の変更などがありました。年度末・年度初めだったので、アレルギーの面談等、それらに時間を割く先生が多かったです。

計画の改定も行わなければいけませんし、給食が始まったときの準備から片付けまで、また歯磨きの対応なども考えました。教材作成や、啓発用の資料を作成する時間も多くかかりました。
これが学校再開後になりますと、実際に学校が動き出すということで、衛生関係の指導であるとか、消耗品関係の調整、実際の給食の時間の指導、それから、子どもたちの教科等での指導。引き続いて、教材や啓発資料の作成に加えて、学校関係の業務もあります。職員会議、給食関係の会議、また、教育に関わる様々な研究会の日程の調整など、対応の変更等に時間を割かれていました。
それらを受けて、研究会では先月、栄養教諭等で情報交換をしようということになり、それぞれの疑問点や課題、再開してからの様々の対応等について検証をおこないました。
取組みをいろいろ紹介したいと思います。ブログ等でのレシピ等啓発の事例です。

 

 

 

栄養教諭自身も在宅勤務になった方もいます。その方はご自分のお子さんへの昼食づくりも兼ねてということでつくられたようです。出来上がりの写真だけでなく、途中の工程の写真なども入れることによって、子どもたちが見通しをもって作れるような工夫がなされていました。

 

マイ・ランチの日の取組みということで、今では全国でもたくさん行われているお弁当の日です。香川県の竹下和男元校長が始められたといわれていまして、休校中は、これにつなげたマイ・ランチの日をもうけ、おにぎりや簡単なおかずづくりができるよう資料を提供し、子どもたちが自ら作ってワークシート等に記入するという取組みです。

 

 

休校時には、メール、ブログ、ホームページなどを駆使してのコミュニケーション、担任と教職員による自宅へのポスティングなど、各校の実情に応じた家庭とのやりとりがありました。マイ・ランチの取組みでも、子どもたちの頑張りを、すぐに他の家庭への啓発として情報発信をされた学校もあったようです。

本校で毎年実施している食生活アンケートですが、「食事のお手伝いをしますか?」という質問があります。ステイホームが長かったのでどうかな?と思っていましたが、「ほとんど毎日する」という値が昨年より約10ポイント下がりました。今後、この実態を受けて、今年度の取組みだけでなく、次年度への全体計画の見直し等をおこなっていきたいと考えています。
次は個別的な相談指導です。香川県内では、小学校4年生を対象に、全件的な血液検査や有所見者への健康相談をおこなっています。それに加えて、本校では、学期末の個人面談と合わせて、肥満傾向児への健康相談をおこなっています。

休校明け、ちょっとぽっちゃりしたなという子どもをたくさん見かけました。前回1月の身体計測の値から、今回5月や6月のあたりに身体計測をできたのですが、そこにかけて、肥満度が10ポイント以上大幅に増加した子どもを抽出して、健康相談をおこないました。
新しい生活様式として、地域の食材を活用して、ソーシャルディスタンスを意識させています。この地域では、オリーブハマチやひけたブリなどのブランド魚を生産しています。そこで、「わたし・ぶり・ぶり・あなた」というキャッチフレーズで子どもたちへ呼びかけています。階段バージョンもあります。

教科等における取組みでは、地域の生産者の方から食材を提供いただいて実施する「ふるさと給食」を行っています。3年生では、総合的な学習の時間にオリーブについて学習します。例年であればオリーブ畑で収穫体験、加工場の中も見学させていただいているのですが、こういう状況ですので屋外のみ実施して、屋内のほうは私・栄養教諭が取材して、それをパワーポイントに起こして3年生に活用していただきました。
どこの学校も悩んでいるのではないかと思うのが、家庭科等における調理実習の取組みです。9月頃行われた、5年生の「茹でる調理」においては、試食はせずに、茹で方の条件を変えて実験的に行いました。子どもからは、「食べたーい」という素直な発言もありましたが、食べられないことでかえって嗅覚など他の感覚を十分に使って比較や考察をすることができていました。

次は学活の取組みです。朝食での野菜摂取不足の課題から、この学校では、生活科とも連携しながら、小学校2年生が調理をおこないました。

コロナへの対応を十分取りながら、自分のスープを2年生でもできる形に落とし込み、包丁や火を使わず、自分一人で作って試食もおこないました。試食後には、他のスープも作ってみたいなと思わせるレシピを渡し、工夫して家庭への啓発をいたしました。
香川県内では、小中学校の統廃合もあり、大型の給食センター化が進んでいます。これに伴って栄養教諭の配置数も減少しており、今後も続いていくことが予想されます。

グラフの縦棒が栄養教諭等の人数です。折れ線グラフは、子どもたちから見たときの栄養教諭による指導の受けやすさの指標です。ざっくりいえば、栄養教諭が受配校の各クラスを1日に1クラスずつ指導に行ったと仮定した場合、子どもから見てどれくらいの頻度で自分のクラスへ来てもらえるかなというものです。県内の全公立小中学校の平均値として、今年度は0.664回。つまり、1カ月に0.664回ですので、3カ月に2回くらい来てもらえるという計算です。しかしながら、最小値では0.22回と、学期に1回来てもらえるかどうかという学校もあって、格差が大きいのも事実です。
栄養教諭の配置数減という状況も予想される未来の中で、教科等の指導だけでなく、給食の時間においても、新しい生活様式に沿った学習活動の工夫が必要になってくると思っています。県内でも、年度内に子どもたちにタブレットが配布予定ですので、校内のネット環境を生かして電子黒板であるとか、書画カメラなどの活用も重要になってくるかと思われます。

最後に、今の私のキーワードとして、効率化と重点化、今できる最大効果の自分の働きとは何かというのを精選しながらやっていくことが大事と思っています。もう一つは、ICTを活用しつつも、やはり学校給食を教材として食材や料理、そして人のぬくもりを子どもたちへ伝え、つないでいきたいなと思っています。ご清聴ありがとうございました。

 

馬場      ありがとうございました。栄養教諭の配置減数という重要な教育施策についての報告もありました。それでは、次は渕範子さんの発表に移ります。

 

 大分県豊後大野市をご存じでしょうか。豊後大野市全域が、おおいた豊後大野ジオパークの認定を受けています。ジオパークは大地の公園といわれ、様々な活動をおこなっています。東洋のナイアガラといわれる原尻の滝や、稲積水中鍾乳洞、沈堕の滝、大分県で一番の紅葉の名所、用作公園は全部豊後大野市にあります。

ジオパークやエコパークに代表されるように、豊かな水と恵みの大地で育まれた、肥沃で広大な大地の好立地を生かして、農林水産物のブランド化を促進しており、大分の野菜畑豊後大野といわれています。地域性を生かし、年間を通じて、新鮮でおいしい豊後大野市産の野菜を学校給食にも取り入れることができ、新鮮でおいしい食材もたくさんあります。豊後大野市には、三重調理場と西部調理場の二つの調理場があります。

大分県で有名な郷土料理、団子汁やとり天などは給食にも取り入れられています。豊後大野市を含む豊肥地域では、じりやきや、鶏めしをあげに包んだかしわいなりも特色があります。
団子汁は小麦粉をこねてグルテンを出し、それを親指大にして寝かせ、伸ばしながら汁に入れます。季節の里芋、白菜、ゴボウなどと一緒に味噌味にします。通常は回転釜三つ分つくりますので、総出で団子汁を伸ばします。
しかし、今年の3月2日から、豊後大野市も小中学校の休校が決まり、幼稚園給食の約30食分だけを、調理員9人で賄うことになりました。小さな鍋で団子汁づくりの様子です。

 

多くの食材をキャンセルした上で、いつも1,000食分作っている調理場で30食分の給食を作りました。無駄が出ないように考えて、献立は急遽考え直しました。この鍋もいつもはないので、奥の寸胴鍋を購入する前は、学校給食会より借りてのスタートでした。食材の注文がキロ単位ではなく、グラム単位になり、通常の業者から頼めなくなり、隣町の店に栄養士自ら購入しに行くこともありました。いつも炊いている7キロ炊きの釜の炊飯施設では少なすぎてごはんが炊けなかったり、パン屋さんが少量すぎて作ってくれなかったりで、いつものようにはいきません。計画どおりいかないので、毎日ドキドキしました。しかし、発想の転換で、みんなでいつもできないことに挑戦してみようということになり、ドキドキが途端にワクワクに変わりました。

これは手延団子汁の給食です。ラップおにぎりを作って食べやすいようにしたり、手ごねハンバーグをハート型に作ったり、給食会に研究用の食パンを注文してサンドイッチを作ったりして、パンの耳が少し硬かったけど、食べ残しはありませんでした。

近くの道の駅で、朝採れたてのタケノコを栄養士が買い出しに行き、調理場で湯がいてたけのこご飯を作りました。食べやすいように一口おにぎりにして出しました。
手ごねハンバーグでハンバーガーを作ったり、手づくりゼリーを型抜きしてフルーツあえを作ったりしました。炊飯は炊飯施設を使用せず、スチコンで炊きました。初めて挑戦しましたが、何キロ炊くのがいいか、水加減や浸漬の時間、温度、ふたの閉じ方などを工夫して、レシピをつくり上げました。生タケノコも調理場で使用したことがなかったのですが、来年は挑戦してみようと思います。調理員さんと一緒になって、楽しみながら、給食に始まったときにつながるように、試作を

兼ねて手づくり給食を幼稚園に提供することができました。

幼稚園の子どもたちもとても喜んでくれ、残菜はいつもゼロでした。保護者よりお礼の電話が来たことも、今回初めてのことでした。
食数も少なく、昼休みなど、ゆっくりしていたので、有志数名と調理場周辺をウォーキングしました。日頃車でしか通らないところを歩くと、いろいろな気付きと発見があり、地域の様子を知ることができて、今後の給食づくりに生かすことができそうです。日頃から信頼している調理員さんたちですが、今回のことでもっと人となりを知ることができて、大好きになりました。

いつも前向きで明るい調理員さんたちには感謝しかありません。夏休み短縮で課題となった真夏の給食ですが、調理場だけの対策ではなく、教育庁を中心に教育委員会が一緒に考えてくださり、出来上がりから喫食までの時間を短縮することを調理場と学校現場で協力しておこないました。保冷剤と時間短縮の効果で、和え物の温度帯は学校に到着後も10度前後で保たれていて、安心しました。

同僚の栄養士や市の職員の方も一緒に困ったり、怒ったり、笑ったり、知恵を絞ったり、共感し合える仲間が近くにいたことは大きな力になりました。子どもたちに給食を食べてもらえる喜びも、普通の毎日を過ごしていたらこんなに大きく感じることはなかったでしょう。時は確実に過ぎていきます。自分にできるのが何なのか、実践し、人と人とがつながり、未来につながる学校給食であることを願って毎日を過ごしています。

 

馬場 ありがとうございました。コロナ禍で激変した学校給食調理の現場が、ドキドキからワクワクへと変わっていた状況がよく分かりました。

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